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田窪一世さん (8zgcoyca)2024/7/16 13:49削除お返事遅くなってすみません。実は、舞台終了後に風邪を引いてしまい、約1ヶ月ほど熱と咳で臥せっておりました。やはり寄る年波には勝てませんね。現在はすっかり回復して気力も充実して来ました。
さて、今回の桑原さんのご感想もなかなか読み応えのある内容でした。
そして「道化師の森」は、まさしく桑原さんのご指摘の通り「子供のことが嫌いな母親なんていない」これこそがテーマの物語です。
この昔から言い古された、聞きようによっては綺麗事にしか聞こえないこの言葉にあえてこだわった理由は、僕の敬愛する作家、山本周五郎氏の影響があります。
氏の生前、批評家たちは「山本周五郎の小説は所詮作り物の綺麗事だ」と評しました。氏はそれに反論して「フィクションだからこそあえて綺麗事を書くのだ」と言っています。
実際の世の中には親が子を私物化したり捨てたり殺したり、様々な事件が頻発しています。だからこそ、せめて物語の中では真逆の理想を描いて読者や観客の心を浄化することが大事なのだと思うのです。
そういうわけで「道化師の森」は戦争が終わってまだ間もない、貧乏だけど人々が肩を寄せ合って生きていた昭和30年代を舞台にしました。
晋平の母親の美智子も、もちろん僕の母親がモデルですが、演じてくれた河合雪絵には巨匠、小津安二郎の映画に登場して来るような女性に近づけて欲しいと注文をつけました。僕の期待に応えて、今回の彼女は実に好ましい昭和の母親を演じてくれました。
もともと「道化師の森」を書いたきっかけは、昔、関口宏氏が司会していた「知ってるつもり」というTV番組でした。
世界中の有名人の知られざる過去の出来事にスポットを当てて彼らの人格形成にどういう影響を与えたのかを探る内容でしたが、ある回、大阪の夫婦漫才の重鎮「鳳啓介と京唄子」を取り上げた時に、鳳啓介氏が幼い頃に母親を病気で亡くした事が原因で、その後、数々の女性遍歴を繰り返していた事を知り、それをヒントに思いついた物語です。
なので、前半の現代場面は想像力を100%発揮するしかなく、悪戦苦闘しながら書き進めて行ったのですが、物語が後半になった途端、何の苦労もなくするすると展開して行きました。
クライマックスで晋平が美智子を強引に現代に連れて来てしまうという荒技も、雅彦が現代に現れ、それを阻止する美智子の行動でタイムパラドックスを起こす事なく収束する。この秀逸(自画自賛)な展開など僕が捻り出したのでは無く、母親の子供への愛を素直に書いたら勝手に帰結してしまったのです。
そして、雅彦と美智子はどこに行ってしまったのか、劇中、ハッキリとした説明はあえてせず、観客の皆さんに想像して貰えれば良いと思っていますが、僕のイメージでは、2人は別々の「時間のブラックホール」に飲み込まれて行ったと思っています。ただ、そうなる前の美智子の愛情の念が5歳の晋平の寝室に届き、その瞬間血だらけの美智子を初子は目撃したのです。
そして、もう一つ重要な存在が「坂田のおばちゃん」です。坂田のおばちゃんと晋平は合せ鏡のような関係で、お互いの存在が出会うことでタイムスリップ状態が起きたのです。それはまるで映写機の炭素棒と炭素棒が近づくことで生じるアーク放電の強い白熱光のようにです。
最後に「道化師の森」の「森」ですが、心理学では森は「深層心理」のイメージで語られることが多く、僕も当初はそういう意味合いで名付けました。でも、もしかしたら「森」は「時間のブラックホール」のことでもあるのかも知れません。